|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 師走最初の土曜日は1日。今年の締めに相応しい1日を、多摩石仏の会に所属する加地氏の発案で栃木県那須地方の馬頭さんを中心とした石仏巡りに出かけました。同行者は、多田氏に五島氏に私の4名という気軽さから一応は石仏巡りの予定コースは作成したものの、私の好い加減さでその多くはその場任せとなった。その為に馬頭観音様は余り見られなかったが、その分をネコ像が加わったり大きな猪に乗る愛宕地蔵などを見せることが出来ました。以下、今回ご紹介する画像はそれらの面白そうな一部です。何しろ案内役に徹し?ましたので、私自身は写真を撮る回数も少なかったものですから…。 なお、ここにご紹介した画像の所在地は那須地区を適当に車で走り、また安易に教えるものではないものもありますのでその所在場所などのお問い合せはご遠慮下さい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 今回の石仏巡り案内は、事前にあまり準備をしなかったのでホントッ、良く道を間違えました。都会などでの石仏案内だったら、さぞかし非難囂々だったろうと判思惟していますが、何しろ今回案内するところは20年も前の所もあるので、その間の道路事情が大きく変わっていたので、ウロウロするばかりでした。幸いに、同行者の多田氏は今年になってこの周辺を訪ねているので、その方向指示に頼る有様でした。 さて、この青面金剛様は阿弥陀堂境内に他の碑塔と一緒にあるものです。紀年銘を含めて、特別ご紹介するような庚申塔ではないのですが、まあこんな酷い場所にも庚申塔がある証拠写真としましょう…。 ところで、この場所は本日の石仏巡りとしては第二番目の場所。それなのに、皆さんが調査を終えたときには早くもお昼となってしまいました。本日の巡る予定地は15箇所。これからどうなりますやら…。 下記の写真は、この場所での皆さんの石仏調査に熱中している場面です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
この馬頭さんの姿は今年の5月に那須へ来たとき、加地氏や五島氏それに今回は参加できなかった犬飼氏を最後の場所として薄暗くなってから案内したものです。今回は、次の場所へと移動中にこの前を通ったら、ご覧のような絶好の写真撮影状態だったので急停車。そして写真だけ熱心撮りました。 今年の多摩石仏の会写真展で、加地氏が出品したものです。それと、この馬頭さんを加地氏は大変気に入ったようなので、これ以降はこの馬頭さんを「加地氏の馬頭さん」と愛称を付けることに決めました。従って、今回以降は加地氏の了解なしには写真撮影はさせません!?。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
気が付けば、那須の地の馬頭さん巡りと言いつつ、那須地方の特色ある馬頭さんを紹介していなかったので、ここで宝馬が6頭ある観音様をご紹介。それにしても、頭にこれだけの宝馬を持っているとさぞかし重いでしょうに、と思いました。 那須地方へ行けば、このような馬頭さんは幾つでもありますので、興味のある方はふらりと出かけてみてください。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
これは、青面金剛像の下部に見える三猿姿です。これは私のお気に入り、那須地方の三猿姿です。それにしても、これは何を表現したくてこのような三猿になったのでしょうネッ! | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 今回は、何しろ多摩石仏の会員様ですから最後は暗くて写真が撮れなくなるまで精力的に見て回りました。その他にもご紹介したい石仏が沢山あったのですが、何しろ私は案内役。ついつい、途中から写真を撮るのが面倒になってしまいました。こうして暫くぶりに那須の地へ来ますと、もう一度じっくり腰を落ち着けて見て回りたいとつくづく思いました。しかし、私の住む宇都宮からではいささか遠く、ついつい近場ばかりに入ってしまいます。そんな訳で、今回参加されなかった皆様には不満足な案内です。そして私的には、そろそろ次回の石仏巡りの目的地選定に入りましょう。小山市にするか、足利市にするか、どこにしようかと。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2007年12月8日(土)栃木県小山市の石仏巡り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 今回は暫くぶりの栃木県南部地区石仏巡りと言うことで、その土地勘と碑塔種類に慣れるため小山市へ入り、大字毎の石仏を丹念に調べることにしました。従って結果的にはただ目にするものを漏らさず記録していっただけですので、余り面白い物には出会えませんでした。そんな次第で、ここへ掲載する画像も自ずと少ないことになりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所在地;栃木県小山市小袋 上坪(50号線の北側) 紀年銘;寛延2年己巳十一月 サイズ;高150.0×幅55.0×奥31.0cm 本日最初に出会った碑塔が、この庚申塔である。時に午前8時20分。最初は、寛政年号かと記録しだしたら干支が「己巳」とあり、寛延年号であることに気づきました。こういう単純ミスは、時として起こりがちなものだけに干支と言うものがいかに大切か改めて反省しました。それなのに、石造物報告書等で干支を抜いた報告を見ると「一体、この著者は何を考えているのだ」と思うことがあります。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所在地;小山市上泉 真言宗 円満寺 境内 紀年銘;(台座)正徳元辛卯年 九月廿四日 サイズ;(本体)高71.0×幅56.0cm (台座)高44.0×幅43.0 これは、元々は近くの刑場跡にあったお地蔵さんで、「首切り地蔵」と言われているものです。 それだけに銘文が欲しくて調べたら、大きな台座となっている裏面に「奉造立上泉村如意所」と、紀年銘と共にありました。従って、この銘文に従えばどう考えても刑場地に祀られた地蔵尊とななり得ません。恐らく、長い年月の間にどこかで由来が間違ってしまったか、お地蔵様の取り違えが起こった結果かと思います。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
所在地;小山市上泉 農協建物東側 円満寺管理の墓地内 紀年銘;昭和三年三月十八日建立 サイズ;高63.0×幅24.0cm 裏面に「上泉 南小林 念佛講中」とある、智拳印を結んだ金剛界大日如来坐像です。二つの坪(小字)の念佛講の人々が大日如来尊を建立するのは、この昭和に入ってからの当地では非常に珍しいことです。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
所在地;小山市生駒 八幡神社境内 紀年銘;寛政十二庚申年[欠け]月吉祥日 サイズ;高47.0×幅21.3×奥14.5cm 小山市では非常に少ない「道祖神」塔です。私の知っている小山市の道祖神碑塔はこれを含めて僅か3基のみ。もちろん、これが最も古い紀年銘となります。 ついでに、この八幡神社に奉納されている狛犬、非常にダイナミックな姿です。特に大きな磐座の中にいるのが荒々しい狛犬の雰囲気を醸し出しています。ちなみに紀年銘は紀元二千六百年記念とありますから、昭和15年の建立です。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2007年12月15日(土)は半年ぶりの足利市へ行きました | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 佐野市在住の高橋氏との石仏巡りは、今年の8月15日以来。そして足利市へとなると半年以上も前のことになります。午前九時に、足利市の鑁阿寺近くの駐車場で待ち合わせし、早速市内の私の行きたい所ばかりを抽出した地図を渡して先導役をお願いしました。その最初の、見たかった青面金剛像は行き着けませんでしたがその後は順調に進み、やはり初訪問の場所は新鮮で面白い碑塔に沢山出会いました。高橋氏に感謝感謝の一日を、穏やかな日和の中で過ごすことが出来ました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
所在地;栃木県足利市田中町 医王寺の墓地内 治病信仰としての「いぼ薬師様」である。その実際の祈願方法は判らない。 当地は墓地だけで、詳細を知るには金峰山薬王院医王寺という独立のお寺とのことで、管理は上渋垂町の勝光寺であろうと思います。 ※以上は、高橋氏のご教示です。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所在地;足利市借宿町 真言宗 円満寺境内 紀年銘;明和四丁亥天十二月吉日 サイズ;(本体)高96.0×幅41.0 像高54.0cm 石 文;「二十二夜供養塔」「下野國梁田郡借宿村 女人講中」 栃木県の二十二夜塔としては、現時点で最古紀年銘となる。当然ながら、像容は六臂の如意輪観音像となっている。そして足利市では、これで16基目となった。次は、宝暦年間の二十二夜塔にどこかで出会えるような気がしている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所在地;足利市借宿町 真言宗 円満寺 紀年銘;天保三辰年九月吉日 この灯篭の竿に「奉献三日夜燈」とあるもので、もちろん私としては初めてお目に掛かる銘文である。住職さんから見せていただいた「真言秘密加持集成」という書籍に「三日月の本地を不動明王とする」と出ていたので、当寺にある不動堂への献灯としての灯篭であることが判った。いずれにしても、ウ〜ムこれは珍しい! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 以前にここを訪れていながら、写真が逆光となっていて全く撮れない腹いせに、記録も取らずに立ち去った。今回は、その場所へ改めて来た次第。しかし今回も晴れていたために写真は良く撮れなかった。そこで、この笠付四角柱に見る剣人型六臂青面金剛像の、私のお気に入りの箇所だけをアップした写真でご紹介。 青面金剛様が手にする「人身」は、ご覧のような大きさであること(上部が写真では写っていないという、チョンボをしました)。そして踏まれた邪鬼は、その重さで足が伸びきってしまったような像容に加えて、何ともまあ暢気に餌をついばいている鶏さんの姿である。なお、三猿はこの下の台座に彫られている。 そうそう、 所在地;足利市朝倉町2丁目 自治会館敷地内 紀年銘;元文五庚申天九月吉日 石 文;「野州簗田郡朝倉村 敬白」「尾嶋村 石屋彦兵衛作」 そしてサイズは 本 体:高114.0×幅45.3×奥45.0cm 像高55.8cm |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
所在地;足利市久保田町1丁目 薬師堂から南の共同墓地内 紀年銘;正徳三癸巳年十一月吉日 サイズ;(本体)高106.0×幅33.0cm 台座に 「カ 奉造立供養地蔵尊」 「野州梁田郡窪田村[不読] 「爲除不浄齋卅三日修行」 ←特にこの所の銘文が重要! 「成就結願廻向也」 「一結講中之女子廿五宇 敬白」 「乃至法界平等普益」 とある、優れものです。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 本日の、最後の最後になって何とも嬉しい石幢六地蔵に出会いました。これで、足利市の石幢は重制が9基に単制が5基の都合14基となりました。しかも「十六日念佛供養」としての単制石幢六地蔵塔です。その他にも、石文が豊富で、「これだから、足利市未知の地の探索は面白い」という事になるのです。 所在地;足利市下渋垂町 自性寺管理墓地内 紀年銘;享保十三戊申天四月吉日 サイズ;(本体)高89.0×一辺21.0の六角柱 石文は省略。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
2007年12月22日(土)足利市の石仏巡り
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
所在地;栃木県足利市久保田町 臨済宗 本源寺 紀年銘;寳暦六丙子仲春吉日 サイズ;高118.0×幅52.0×奥29.0cm 猿高17.0cm 銘 文;「野州梁田郡久保田町馬場中」 駒型の剣人型六臂青面金剛像である。頭にはヘビ、額には三眼がある。台座に三猿が当て左右猿は向かい合っている。当地方の一つの代表的な像容庚申塔である。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
所在地;足利市久保田町 本源寺 紀年銘;維時寛政二庚戌季春如意珠日 サイズ;高93.0×幅44.5×奥28.5cm 閻魔大王の下に十王の名前「泰廣王 変成王 初江王 太山王 閻羅大王 平等王 宗帝王 都市王 五官王 そして五道轉輪王 が刻まれている。 その他に「野州窪田村本源寺 現住實嵒点眼焉」その他交名あり。 そして一般に「嵒」の文字は、山偏が下に付くのだが、ここでは上に山偏がある。※嵒=岩・厳 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 上の青面金剛像は、合掌型六臂青面金剛像容だが、邪鬼が一般に見る姿と違って余裕の体をしているので掲載した。 所在地;足利市久保田町西久保田 集落センターの西側T字路。 紀年銘;元文五庚申十二月 サイズ;高76.0×幅36.5×奥23.0cm 猿高10.5cm 銘 文;「[欠け]供養」「西久保田村」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
所在地;足利市県町1180番地近くの共同墓地から北のT字路道路沿い 紀年銘;なし サイズ;高50.0×幅29.0cm 丁度居合わせた地元の方に、この石敢當があるお宅の出身地を尋ねたが、昔からの住人であるとのこと。従って、なぜここに中国が発祥となり沖縄方面に特に多く見られる、この「石敢當」の石塔があるのかは不明である。陰刻された文字から、最近になって祀られた物ではないことだけは確かなだけに、この足利市で「石敢當」が何気なく祀られていたのに驚いた。当然ながら、当栃木県では非常に数少ない信仰塔である。現在の場所が場所だけに、これからも交通事故などに会わずに生き続けていってもらいたい物である。足利市の教育委員会の人々も、こんな小さな自然石ながら、その信仰内容価値の高さについては見逃しがち。是非とも再認識をと願うばかりである。たとえ、そこに紀年銘がなくても… |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 以上、今回も興味ある碑塔の幾つかを省いてしまった。今年の石仏巡りも、いよいよ次回限りで終了となるだろう。もちろん、それはこの続きとなる足利市へ行きたいと思っている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||